自分の限界への挑戦は美しい
すごく考えさせられたのは、昨日書いた記事が、今までで一番アクセス数の多い記事になったことです。
これまで、たくさんの魅力的な人たちにインタビューをして、記事にしてきたのに、どうして自分の素直な感情を話した方が、読み手に喜ばれるのでしょうか。
ただ読まれるだけでなく、いろんな人が応援のコメントやメッセージをくれました。
ぼくは素直に、周りにいる人たちの活動に素晴らしさを感じているから、インタビューして紹介しています。でも、自分の想いを綴った文章が一番読まれたという事実は、
「インタビューするのもいいけど、他人の人生を追いかけてばかりいないで、自分の人生をもっと主体的に生きなよ」
というメッセージなのではないかと思いました。まさやさんが言ったとおり、「聞き手ではなく、話し手になるような生き方をしろよ」ということです。
インタビューもできます。でも、ぼくの主戦場ではないのかもしれません。
それで、何かヒントを掴めるかもしれないと思って、もう一度自転車旅をしてみよう、と決意したのですが、正直なところ不安でいっぱいです。果たして5年前の自分よりも、面白い旅ができるのか、面白い文章が書けるのか、人に対して何かを与えられるのか、まったく自信が持てないからです。
全てを投げ出してチャレンジしていた当時の自分は、荒削りな部分も多かったけど、そんなの気にならないくらいのエネルギーがありました。今頑張っても、「昔の方が面白かったよね」って、やっぱり言われてしまうかもしれません。
失敗するリスクはある。自分に負ける怖さもある。カッコ悪い自分をさらけ出す恥ずかしさもある。それでも、それでも挑戦しない限り、過去の自分には勝てません。
だけど、不安の中にも、不思議なワクワク感があります。失敗するかもしれないことに挑戦するのが、きっと究極のエンジョイなのでしょう。
その感覚を思い出すためにも、ぼくは5年前の自分に勝負を挑みます。挑戦した先に待っているのは、きっと勝ち負けや成功・失敗を超える楽しさであり、美しさだと思います。