「人の役に立ちたい病」
九州の自転車旅で、何をしようかな、どこへ行こうかな、と思いを巡らせているとき、
いつの間にか、
「何をしたら喜ばれるかな」「どこへ行けばおもしろがってもらえるだろうか」と、意識が外に向いてしまっていることに気づきました。
しかも、この無意識の思考はかなり強力で、
「自分の行きたいところへ行く、やりたいことをやるのが旅じゃないか」
と思い直しても、また次の日には、
「何をしたら喜ばれるかな」
と考えてしまっているので、これはもう
「人の役に立ちたい病」です。
これでは主体性がフルに発揮されないし、人の目に踊らされて、自分を見失ってしまいます。
海外添乗員という職業柄、「人を楽しませよう」という気持ちが働くのは仕方がないのかもしれませんが、
仕事の外では、自分が楽しむことを優先したいものです。
「原点は何だったか」
ともう一度考えることにしました。
ぼくがブログを始めたきっかけは、
両親を安心させるためでした。
大学3年生のとき、初めての一人旅で「自転車で九州まで行ってくる」と言った息子に、両親は心配していました。
でも、毎日メールで「今◯◯にいます」と無事を報告するのは嫌だったので、ブログを開設して、
「このブログに毎日旅の経過を書いていくから、勝手に読んで」
ということにしました。これなら、両親だけでなく友人への報告にもなるし、日記代わりにもなるし、一石二鳥だと思いました。
ちなみにこれが生まれて初めて書いたブログ記事です。
でも最も重要なことは、このとき、「人を喜ばせたい」とか「人の役に立つ文章を書こう」などという想いは皆無だった、ということです。
ぼくはただ、純粋に旅を楽しみ、起きた出来事や感じたことを、素直に綴っていただけです。
しかし不思議なことに、そのブログが口コミで広がっていき、
「毎日読んでいます。今日はどこまで行ったかな、どんな出会いがあったかな、と楽しみにしています」
「いけいけー!今日も頑張ってください!」
などと、たくさんの知らない方から応援されるようになりました。最終的には学生ブログで日本一にまでなりました。
でも、そうした反応を狙って旅をしていたわけではなく、自分が楽しんだ「結果として」起きたことです。このプロセスが、普遍的で、とても大切なことだと思います。
今の自分は、いつの間にか外に意識が向くようになっていましたが、もう一度、内に意識を向けます。すなわち、人を喜ばせよう、ではなく、自分が楽しもう、という意識です。
イチローだってそうでしょう。
彼は、人のために野球をやっているわけじゃない。それも少しはあるかもしれないけど、多分一番の理由じゃない。
自分が楽しいから、野球をやっているはずです。でも、結果として、多くの人に感動を与えています。
人を感動させるために野球をやるのと、
大好きな野球をやって、結果として人が感動するのとでは、大きく異なります。
行ってみたい
やってみたい
楽しそう
誰もが一番最初に感じる、その純粋な好奇心や欲求を、いつまでも大切にしたいと思います。
「自分のため」を追及したとき、結果として「人のため」になっているはずです。
最後に、ぼくの好きな和田一郎さんの言葉を引用します。
「誰かのためにとか、社会に貢献するためにと言うことは、とても尊く美しい。
しかし、それだけでは、いつまでも増え続ける、多すぎる荷物、大きすぎる荷物に、息切れしそうになってしまい、世の中がその「色」を失ってしまうのだ。
僕らが見える世界が、いつまでも色鮮やかで、わくわくするものであるためには、心の芯に好奇心を燃やし続けなければならない。
好奇心の炎があってはじめて、世界は様々な鮮烈な色に色づくのである」