ぐもブロ

自分と向き合うためのブログ

才能は「悔しさ」の中にある

あることに対して、「悔しさを感じろ」って言われたときに、すごく違和感を覚えました。

やること全てに対して悔しさを感じられる人はすごいなあと思うけど、ぼくはそうじゃありません。負けたり、失敗しても、悔しさを感じないことがあります。そういうときに、「悔しさを感じろ」と強要されると、胃がキュッとなります。

でも、頻度は少ないけど、全く悔しさを感じないわけじゃありません。これまでの人生で、心から「ちくしょう!」って思った経験ってなんだろうか、と考えてみたら、思い当たるエピソードが2つありました。

ひとつは、大学3年生のとき、「自転車で九州まで旅する」と友人に言ったら、「無理に決まってるじゃん」と言われたこと。やってもいない人に、どうして「無理に決まってる」と言われなきゃいけないんだと、悔しかった。絶対やってやろうという力になりました。

もうひとつは、高校生のとき。サッカー部の練習が辛くて、ぼくは半年で部活を辞めてしまいました。それで、周りから「洋太は根性がない」と思われることが、すごく嫌でした。実際に、ぼくは根性がなかった。でも、そう思われることに対する悔しさが、すごく大きかったです。

だから、部活を辞めたときに、ある目標を持ちました。ぼくの高校では、毎年一回、全校で行われる5kmの持久走大会がありました。その持久走で、サッカー部の人に勝ちたいと思いました。

ぼくは、スタミナがなかったから、放課後、毎日走り続けました。10kmとか、長いときは15km走りました。今でも高校の思い出といえば、ひとりで走っていた記憶が一番強く残っています。「負けを認めるのは悔しいから、一年後の持久走で勝ちたい」その気持ちがぼくを動かしていました。

結果は、学年で5位。1,2位は陸上部、3,4位はサッカー部、5位は帰宅部のぼくだった。部活をやっていたときには圧倒的に遅かったぼくが、努力して、結果を残せたことが、すごく嬉しくて、その後も走ることが好きになりました。些細なことかもしれないけど、その体験が今に繋がっています。道に迷う楽しさや、知らない道を走る楽しさを覚えたのはそのときで、その後の自転車旅に繋がっていきました。

ぼくの根底には、常に「人を驚かせたい」という欲求があります。それが何故なのかなと、昔から疑問に思っていましたが、この2つのエピソードから、気付きました。

ぼくの場合、人に決めつけられることに対する悔しさが、人一倍強いのです。「洋太にはできない」「洋太はこういう奴だ」と決めつけられる悔しさが、「人を驚かせたい」「不可能と思われることを成し遂げたい」というエネルギーに転化しているのだと思います。それがバイタリティーの源です。

何に悔しさを感じるかは、多分、人によって異なります。でもだからこそ、悔しさを感じることの中に、その人の才能が眠っているのだと思います。